2009年09月01日

働く限界、8 時間!

大学を卒業して西武百貨店、豊橋店に就職しました。毎日店が閉店しても上司が帰ろとしないから毎日なかなか帰れませんでした。売上が悪ければ悪い程帰らない状態でした。仕事があれば仕方ないのですが、上司は単に机に向って考え事をしているだけで、先輩も何も言えずただ黙って付き合っているだけでした。
単に売上が悪いのに『よく早く帰れるな!』と周りから言われたくない上司のポーズ的時間潰しからです。
若さもあり、その頃から物事をはっきり言う性格でしたので、いつも用事はなくても『用事があります。』と言って堂々と帰っていました。
その頃の仕事は美術画廊でしたので夜の絵画の外販(会社社長さんやお医者さんのご自宅に夜絵画を販売で回る)で夜遅くに会社に戻っても誰もいません。ですから早く帰れる日まで上司の時間稼ぎに付き合ってはおれませんでした。
数年後に後輩が出来まして、外販から夜遅くに会社に帰ったら後輩が帰りを待っていてくれました。何故か無性に腹が立ち『犠牲者はオレ一人でいいんだから、帰れる日は割り切って勝手に帰れ!』と怒鳴り付けてしまいました。誉められると思って待っていた後輩は泣きそうな顔で唖然としていました。いい言い方をすれば自分が味わったイヤな思いは後輩にはさせたくないことと雰囲気、流れを変えたかった思いでした。
そして入社当時の上役のための時間稼ぎをする上司になりたくなかったからです。上司の都合で部下を犠牲にすることは許されない行為です。後輩もいつか外販をするようになる訳ですから、帰れる日は早く帰して上げたかった。独身とか結婚しているとかは関係ありません。

約8年の百貨店を経て、いろんな事情で退職して次は個人病院の事務長として勤務致しました。
その頃は毎月月末二日間から翌月10日頃まで健康保険や国民保険への請求のレセプトで毎晩女性事務員の残業に付き合い10時頃まで、それから自分の仕事で深夜12時まで、10日から15日までは事故の保険請求の自分だけの仕事などで毎晩12時まで1人乗り残業をしていました。そして毎月2日は地域の当番制の当直医で深夜まで急患の待機をして、その日は毎回病院に泊まりで看護師さんのように明けの休みはなしで、また1日を働いていました。その後男性社員が入社しましたが、病院内の寮でしたから、毎晩遅くまで残業ばかりでした。 寮生でしたから、今日は何時に終わり何時に帰ると言う1日目標がないから毎日ダラダラで、部下を残して先に帰る訳にも行かず結局毎晩12時までの繰り返しとなっていました。
病院への転職の際に結婚したばかりでしたから、家庭崩壊寸前でした。やがて子供も生まれましたが、日曜日が診察をしていましたから、子育ての手伝いもまったく出来ませんでした。
そんなこともあり、38歳で今の仕事に転職した訳です。
転職の一番の理由は1日何時間でも働くがその評価と金銭的成果を求めての転職でした。病院時代の勤務体制を考えたら、転職後の年中無休、24時営業につきましては何んらまったく苦にもならず、むしろ苦労が身になると思え楽でした。
しかし平成10年10月に新事務所を建て、法人に設立した際からはスタッフもいることと自分の将来も見据えて土曜、日曜日を定休と致した次第です。
自分の過去の苦い経験もあり、スタッフの方達に基本的には残業をして欲しくない思いです。
毎日きちんと今日1日の計画を立て、『今日は絶対何時に帰る』と終わりの時間を決めれば残業はなくなることと思います。
人間集中して働く能力時間は8時間と思います。おそらく8時間が集中力の限界と思います。
ある経営者の方が言っていました『残業は企業の損失』これは同感と思います。賃金のことではなく、効率性も持ってミスを防ぐ対策です。
残業が重なれば間違いなく=愚痴となりそれが積もり積もれば不満となり、悪循環となります。生活の基本は個人の生活であって個人の生活のための仕事と思います。家庭や個人生活を犠牲にしての仕事は経営者だけの問題と思います。
30代後半から40代は誰にも負けない程に死者狂いに頑張りましたが、間違いなくそのしわ寄せは必ず後から来ます。

毎日にメリハリを持って、やる時はやり、常に個人の時間を大切に送れる日々を大事にしたいものです。




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Posted by 「TM部屋☆親方物語」 at 08:26│Comments(0)親方の言いたい放題
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