2009年07月17日

『思い出と言う形見……。』

本日お客様のところのご葬儀に参列して参りました。
仕事柄毎月1件ペースで、間違いなく年間10件以上のご葬儀に参列させていただいています。
葬儀中、不謹慎かもわかりませんがいろんなことを考えます。現在同居で、健在な両親こととか、そしていつか来るであろう自分のことなど、いつも葬儀中に考えます。
旧サイトのホームページのひとり言でも搭載したことがありましたがhttp://www1.ocn.ne.jp/~tmnet/hitori_3nenme.htmかつてあるセミナーで『もし自分が死んだとしたら何人の人達がお通夜とか葬儀に来てくれると思いますか? もし少なければこれから一人でも多くの葬儀に参列していただける程の関係の人脈づくりをしなさい。』と言う話でして、当時は突然で思い当たる人間関係も数名と少なかったのですが、あれから約15年も経過した月日もあり、間違いなく自分が死んだ時にお通夜とか葬儀に来て下さる人が増えたことを確信し喜んでいました。
しかし、ふと本日の葬儀中に、誰にも知られずに後から『えぇ、あの人死んじゃったの?』なんて葬儀も悪くないなぁと感じました。揺れ動く心境の変化なんでしょうね、
今日の葬儀の司会の方が最後の挨拶で『思い出と言う形見を残されて……。』の言葉にジーンと来てしまいました。
自分の信念であります『悔いのない人生』をこれからも考えながら有意義な日々を過ごしたいと思います。

くしくも本日は石原裕次郎さんの命日でした。




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Posted by 「TM部屋☆親方物語」 at 16:33│Comments(2)親方の言いたい放題
この記事へのコメント
うーん考えさせられます。命を受けた限り必ず死を迎えるのは確実なんですが、若いうちは何となくそんなイメージかし持てませんでした。自分が結構な年になり、親もそれなりに年をとった姿を見ると、死というのがだんだん現実も物として感じてきます。
自分が死を向けえる時に後悔ばかりするのか、それなりに満足が出来るのか・・・言われるように悔いの無い人生でありたいものです。
Posted by higeoyaji at 2009年07月17日 16:58
いつもコメントありがとうございます。
西尾の○○さんから電話があり「まさか病院で余命宣告されたんじゃぁないだろうね?」と電話がありました(笑) 「最近のブログを見ていると身辺整理とかそんな話題ばかりだから」と、そんな人に限って長生きすのかも? 
でも流石に父の91歳は超えれないと思っています。 理由=父はタバコ・酒・・ギャンブル・女?まったくやらない健全な人ですから(笑) 
Posted by TMネットワークTMネットワーク at 2009年07月17日 21:45
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『思い出と言う形見……。』
    コメント(2)