「出会いを大切に、安心へのかけはしを・・・。」 これをテーマに頑張るプロ新特級の保険代理業の会社です。 昨年10月1日より当社のSTAFF豊橋ブログ「TM部屋☆STAFF日報」OPENしました。

  ロゴをクリックしてご覧下さい。(是非 BGMをお聞き下さい。)

HOME
会社概要
交通事故 住所/地図 安心携帯サイト 豊橋
STAFF
ブログ

2009年11月23日

無縁坂=グレープ=カミングアウト



出来ましたら、下記をクリックして音楽を聞きながらご覧下さい。



無縁坂=グレープ(さだまさし)


若干数名の方がこのコーナーを楽しみに待っていて下さるようで嬉しく思います。
長い文章?で申し訳なく思いますが、これはあくまで自分自身の整理のためです。

ブログタイトル通りの「物語」です。
(今更ですが人に見ていただくブログではなく、あくまで自分の心の整理と息子への遺言です。)


家内にも誰にも言っていな、カミングアウトです。

8月8日の青森からの研修の帰り(ねぶた祭りの関係で行きの飛行機は取れましたが、帰りの飛行機が取れず帰りは電車でした。)の日に母親は自宅で転んだらしく、救急車で豊川市民病院に搬送され、「骨には異常がない」と診断を受けながら、当日も翌日も動けない状態で、10日(月)に再度お客様でもあります別な病院で再検査をしていただいたところ「腰椎の圧迫骨折」と診断されて即入院となりました。
10月21日(104日目)で退院することに致しましたが、まだまだ完全に歩ける状態ではありません。ただこれ以上の入院生活で社交性にない母親が変に認知にでもなったらとの判断で一時退院を決めました。

昨夜家内からブログに「感謝状」なんてものを登載されましたが、約100日の毎朝の介助、見舞いはそんなものではありません。

数日前のブログ登載で「おふくろの味」を載せましたが、「おふくろの味」なんて思い出はありません。

小学生の頃から、中学まで夏と春の通知表の時期になるといつも成績が悪いからと母親から殴られ続けられていました。
一瞬でしたが中学1年生の頃に一度だけ「もう生きていくことがイヤになり死にたい」と一瞬思ったことがありました。当然「死ぬ」勇気もなく、中学の3年生の頃は殴られることより、よけれる身体にもなり、逆に母親に殴り返すことも考えた程でした。

何故母親はそこまでして成績に拘ったかと言いますと、私の父親は4人兄弟の次男でして、長男も三男も四男もみんな当時の上の学校(おそらく今で言う高校)まで行って、何故か父親だけが、当時の尋常小学校?しか出ていなく、その頃の西気賀の魚屋さんに丁稚奉公に出されていたようです。
長男は今現在岩手県に在住で、おそらく93か94歳で健在です。まぁまぁの大手企業に勤めたようでした。三男の方は今現在その頃と同じ地元西気賀で健在です。学校の教師を勤めました。四男も普通の会社に勤めたようで浜松市に住んでいます。

そんなこともあって幼い頃から毎日のように「お父さんみたいになってはダメ!ちゃんと学校を出なくては」と言い続けられての毎日でした。
生まれたのは豊川市内の中條と言う町で、そこで育ち、小学校5年の頃に両親は貧乏生活の中で今の金屋に家を建てたようです。

借家住まいから新築したと言う理由で、そんな父親の親、祖父の面倒を見ることになり、当時小学校高学年の頃、祖父の面倒を2~3年見ることがあった時も母親が、父親に「4人兄弟でまともに学校も出してもらえなかったうちが何で面倒を見なくてなならないの!」と父親を責める毎日を見てきました。子供心にだんだん祖父を憎むことを洗脳されて来ました。
確かに同じ兄弟であっても大手企業に勤務したり、学校の教師をしたりで、裕福な生活をしている兄弟に比べて、父は工場勤めの工員でしたし、母親もいつも内職をしていました。
母親の味方をするしかない状態でしたが、毎日父親攻めるそんな母親の姿にはイヤ気を刺しておりました。

そんな卑屈な頃でしたから高校受験も失敗して、地元私立高校に入学しました。流石に受験の失敗は悔しく本気で勉強をするようになりました。初めての通知表がクラスのトップになれ、「こんなバカばかりの学校に入学してしまった」とまた落ち込み掛けましたが、バカな学校でも3年間トップで大学に行く決心も付きました。
2年生から進学クラスに編入して、何とか名古屋の大学に入学も出来、当初は通学していましたが、半年後逃げるようにアルバイト生活で名古屋にアパートを借り、卒業後は長男と言う宿命で地元、今はなき西武百貨店に入社致しました。

31歳で当時同じ西武百貨店で勤務していた今の?家内と結婚して、家内は21歳で大変な母親との同居生活が始まりました。その頃母親にはっきり宣言したのは「家内は他人だから、これからは家内を守る、ちょっとでも家内に何かしたらタダじゃぁおかないぞ!!」と脅かしの言葉からに新婚生活のスタートでした。
特に大きなトラブルはなかったようでしたが、忘れもしない2つの事件がありました。

結婚したばかりに家内が高校時代の友達と友達の家に遊びに行って、帰りが5時頃だったにの、その送ってくれた友達の目の前で「いつまで遊んでいるの!こんな暗くなるまで」確かに冬でしたが、5、5時です。
家内は今と違ってその頃は泣き虫の頃で、そのことは口に出しませんでしたが、仕事から帰って来て様子がおかしく「何かあったのか?」と聞いたら「何もないわ!」の一言で察し母親を泣くまで攻めました。

もう一つは結婚する前の家内との約束で「結婚して、お前の親は俺が絶対に大事にするから、俺の親を大事にしてくれ!もし粗末にしたら俺もお前の親を粗末にするから!」とカマしてありました。

子供が2~3歳の頃、家内の親が家内の兄の住む敦賀に行くことになり、電車賃も宿泊代も出して下さり旅行に行きました。それでも男のプライドもあり、2回目は当時勤務していた病院の先生にお願いして病院の車クラウンを借りて敦賀に行くことにしました。
その旅行から帰って来た瞬間に母親から「嫁の親には病院の車を借りてまで旅行に連れて行く癖に、私達にはそんなこと一度もしてくれない!」泣いて抗議をされました。
「ふざけるな! 最初に言った通り、俺は嫁を守る約束をした筈だ、その分兄さん(岐阜に住む姉のご主人)が大事にしてくれているだろう!!それが世の中の仕組みだろ! ○子の親は旅行のお金の全額お金を負担してくれる、金さえ出してくれたらどこでも連れて行ってやる!」と、

もうひとつ余談、
結婚してから毎年家内が両親の誕生日、母の日、父の日、敬老の日に必ず両親に贈り物をしてくれます。数年前に「20年以上嫁からいつも贈り物もらって、一度くらい○子の誕生日に贈り物しても罰は当たらないぞ!」と言ったら「そんな嫁の誕生日なんか知らん!」と、一言、
それでもそれからは家内には時々お金をくれるようになったようです。

まぁ数えたらキリがない程のいろんな話はありますが、そんな母親ですから、57年間母親の前で笑顔も見せたこともない気がします。物心ついてから普通の会話も一切ありません。常に喧嘩腰での会話です。
今現在卑屈な性格になったのはすべて母親の影響と思っております。

ただそんな母親のお陰で借家住まいから一家屋に住め、高校や大学にも行かせて貰えたし、11年前の新築の際にも出資をして貰ったし、息子(孫)が大学に行けたのも両親のお陰と思っております。そして息子(孫)のためにいろいろ貯金をしてくれているようで、今は素直に、心の底から感謝はしておりますが、今更笑顔での会話も出来ませんし、優しい言葉を掛けることも出来ません。

「運がいいとか、悪いとか・・・・・・・・・・」


100日の毎朝の通院はそんな罪滅ぼしの日々でした。決して人に話せる美談ではありません。


追記

親不幸者の子を持つ母親が気の毒にも思えますが、これが精一杯です。

ただ自信を持って言えることは、結婚して以来約27年間家内の美味しい料理を食べれていること、自宅にいてもいつもの全国各地の名産物を食べることはよその家にないことと思っています。そして生きてる人生の中で二回も新築の家に住めたことは悔いのない人生と思って下さい。

嫁と姑の話なんて同居の経験がある人にしかわからないことですね、
そして息子には「勉強しなさい」と言った記憶は余りありません。





もしこの長い記事ご覧いただけました方がお見えでしたら、

お疲れさまでした。

最後にもう一度「無縁坂」別バージョンをお聞き下さい。

ありがとうございました。




この記事へのトラックバックURL

http://tmnet.hamazo.tv/t2121793
この記事へのコメント
物語読みましたわ。

泣けてきます。

家庭でのことは、外からは、わかりずらいことが多いです。

たいやき小僧は、親に殴られた経験はありません。

ただ、両親に親孝行出来てるか?っていうと、とんでもなく親不孝だと思います。

よくたいやき娘に言われるのは、人のいいところをまず探しなさい、と。

親方様の体験は想像を絶することですが、反面教師?というか、二代目さんは、親方様が経験したことを糧に、教育されているので、親方様以上に立派?になりますよ!

カミングアウトは勇気が要ります。

親方様の勇気に感嘆しながら、無縁坂聞きます
Posted by たいやき小僧 at 2009年11月23日 22:30
ドバーッ(┬┬_┬┬)滝のような涙
Posted by ぷーちゃんぷーちゃん at 2009年11月23日 23:12
たいやき小僧様、ぷーちゃん様

いつもありがとうございます。

母親は言葉少ない人ですから、損をしています。
勿論、「本気で我子を憎んだり、イジメたりする親はおりません」そのことは
十分承知をしています。

息子には学生時代「勉強しなさい」と言いませんでしたが、今は言っています。

殴りはしませんが、息子から昨年の10周年の最後のスピーチで
「言葉の暴力だぁ!」と言われました。

親子の出会いも、男女の出会いも、夫婦の出会いも、すべて

「運がいいとか悪いとか・・・・・」だと思います。

ただ家内にはそんな親の面倒を見てもらっていますから、感謝です。

ですから、頭が上がりません!

同居ではないご夫婦の方々は環境に感謝して欲しいものです。

そして、親が長生きしてくれていることも感謝です。

ですから「ありがとう」と言う言葉と「感謝」と言う言葉が好きなんです。

長い物語読んで下さって、ありがとうございました。感謝申し上げます。
Posted by 「TM部屋☆親方物語」「TM部屋☆親方物語」 at 2009年11月23日 23:27
親方(*^_^*)ノ

親方、男らしいなぁ!!!
「家内は他人だから、これからは家内を守る、ちょっとでも家内に何かしたらタダじゃぁおかないぞ!!」

こないだTVで島田伸介(字違うかも)も言ってた。
「今まではお母さんが一番だったけど、これからは嫁が一番だから」みたいなこと。
私もそうやって言ってくれる伴侶を探す旅に出ようと思います。


あ、人にはあんまり言ってないけどね、ゴロタン「無縁坂」大好きなんだよぉ。
まくまくの大将と一緒によく口ずさんでます。


「ため息つけば、それで済む。後ろだけは見ちゃダメと・・・」

ちょっとビックリした、「無縁坂」が出てくるなんて。親方、ゴロタンの好きな曲知ってるかと思ったよぉ。
Posted by ☆ゴロタン☆☆ゴロタン☆ at 2009年11月23日 23:29
☆ゴロタン☆

おい、おい、みんなが心配していたぞ!!

前にも言ったが、生きてるなら、息してる合図を下さい!!

モールス信号忘れたのか<`~´>

島田紳助だと思いますが、

そうか「無縁坂」つているんだ、29歳でも、

ゴロタンが行方不明になってから、このコ-ナー始めたんだよ!

やっぱり、ゴロタンとは「有縁坂」だったね、

コメントありがとね、よかった、よかった、

でも本当によかった、安心しました。

みんなに知らせて来ます~
Posted by 「TM部屋☆親方物語」「TM部屋☆親方物語」 at 2009年11月23日 23:37
「有縁坂」・・・親方ぁ(/□≦、)
ありがとう(┬┬_┬┬)滝のような涙 ←ぷーちゃんのコメ・コピペ。
Posted by ☆ゴロタン☆☆ゴロタン☆ at 2009年11月24日 09:35
親方様

読ませていただき、いろいろ考えさせられました。

私は親方とは逆に母親に叱られたり、殴られた記憶が

有りません。母は何かあった後で、じっくり私に諭す様に

話をしました。

私の性格を考えての事だったのでしょう。

少し内気で、前に出られないような・・・。

だから、私は親方のように、反骨心とか行動力とか

細やかな気遣いとか、自分に無いもの持ってみえる

のをうらやましくも思います。

お母様の子育てに対する考え方も

信念からその様に育てられたんでしょうね。

子供を育てるうえで、どれが正解!なんて

ないと思い、自分は子供には自分の働く姿、

行動、考え方、をありのまま、背伸びせず、

正直に見せる事をポリシーにして

育ててきました。

久々に親子の在り方を考えさせて頂き

ありがとうございました。
Posted by さくらやパパ at 2009年11月24日 10:03
今でも泣き虫ですよ (T_T)

すでに号泣状態!!

   鬼嫁
Posted by 「TM部屋☆親方物語」 at 2009年11月24日 22:30
上の画像に書かれている文字を入力して下さい